天気・降って湿った/体調・食べ過ぎた、かな?

 ネット講義、聞きそびれてしまった。
 最後の最後に、なんたる不覚!

 溜まった一円玉を、そろそろ貯金しようかと思っています。
 でも、
 数えるのがめんどくさいほどにあるので、
 実家に持って帰っても、いいかな、と思ったり。
 家族全員、こういった事が、案外好きだったりするので。
 
 正座に耐えられなくなりました。
 すぐに痺れるとは、日本人としてあるまじきです。
 椅子の上でも正座していた高校時代に戻らなくては!
 
 
 
 人生における僕らの行為は、必然的ではない。
 が、その必要性を、その行為全てで証明出来るのかと言えば、
 たとえ全力でやり遂げようと、でもだ。
 僕らは常に必要性があることを盲目的に信頼しているのでは?
 何故、この事実に自覚的でないのか?
 僕が絶望したのは、正にこの事実に於いてであったことを、
 今日、一年半掛けて言葉に出来たことを感謝したい。
 僕らは、常に独善的でしかないのかもしれないという恐怖を、
 果たして伝えきれるのか否か。

2006年07月10日 日記∩自己批判文 トラックバック(0) コメント(0)

天気・2人は僕らの知らないところで出会えたと思いたい/体調・血圧が低い模様

 スイカ割り。
 やっているのを見たのは、小学校以来。
 それが周りにとって、どれほど恐ろしい者か、
 実際に竹刀を向けられて、よく判りました。

 七夕です。
 願い事が叶う要素は、あの昔話の何処に在るのでしょう?

 
 
 一番恐ろしいのは、
 自覚無く自然といる誰か、である。

2006年07月07日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

天気・雨は持ちこたえた・・・?/体調・顔がべとつく

 目を見開いて直視すべきですね。
 生まれたときより、社会から逃れられない以上、
 どこに立つべきかを選択せねばならなくなる。
 何が言いたいのか、やっぱり判らないのですが、
 空しか見えない状態なのです。
 どこにあるのか判っていても、行けるわけがない場所。

 
 
 レポートを完成させることにしました。
 考え自体は、今も持続しているのですが、
 何処へも行き着かないことに絶望気味です。
 
 児童絵画とは何か。幼稚園児の時に絵を描かなかった人は居なかったはずで、そういった絵を、何らかのコンクールに送る/送らないにかかわらず、私たちは絵として認識し、作品だと認識しているはずです。
 此処で考えたいのは、こういった絵画を芸術作品と呼ぶことが妥当か否か、ということなのです。
 果たして、ピカソやゴッホの絵と、幼稚園児の描いた絵が同じ展覧会で並んでいて、理屈の上では、変なことはないはずです。
 が、微妙な違和感が、言葉に出来ないようなものとして、あると思われるのです。
 小さな事ですが、ここには「芸術」ひいては「文化」という言葉の定義に関わる問題があって、さらには何が「芸術」を「芸術」たらしめているのか、にも関わる問題だと思うのです。
 では、具体的に何処が違和感をもたらすのか、それを次から述べてみたいと思います。

2006年07月06日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(1)

天気・雨を気にしています/体調・腹と腰の間が離れていることを知りました。

 いわゆる、下腹、といわれる箇所のことなのですが、
 元々背が低いので、そんな箇所がハッキリと区別できるとは、
 思ってもいませんでした。
 ちょっとショックです。色々と。

 2週間近く、というよりも5月の終わり頃から、
 思考を静止させていました。
 一つ前の日記にレポート形式で思索を展開しようとしていたのを見ると、
 出来る限り悪あがきしていた、ということでしょうか?
 
 己の立ち位置がハッキリしなくなってきた、というのが、
 ここ最近の自分でしょうか。
 毎年一回は壁にぶつかるのですが、
 今がそうみたいです。
 ゆったりとした躁鬱症みたいだ、とは、
 友人の言葉だったりするのですが。
 
 どうも、具体的な言葉に出来ません。
 今の自分の言葉では、説明できなくなった、
 ということなのかもしれません。
 それとも、この形式の限界でしょうか?
 向き合うということに道がないのかも・・・。

2006年07月05日 自己批判文 トラックバック(0) コメント(0)

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