天気・快晴。汗がしっとりしてくる/体調・服の調節が上手くいかない
なんだか気がつかないうちに、水を溢してしまうというミス。
手が滑ったわけでもない、気を取られていたわけでもない、
なんだか、五月病っぽく、なっている………?
親から電話。
なんだか、掛けたくて仕方なかったのだとか。
そこまで長く話はせずに終わったのですが、
それにしても、
電話するたびに、
どうも気が重くて仕方ないのは何故だろうか。
既に新入生と、妙な溝を感じるように思えるときがある。
どうして、ちょうどいい距離に離れてくれないのか。
人間関係に於いて、「普通」の遣り取りなど、存在しないことの証例が自分だと、どうして伝わらないのか。
天気・午後から泣き出す。非常に気が重い/体調・興奮と疲労に体が悲鳴をあげた
朝は歩いて、帰りは自転車に。
そういえば、先週の木・金でも似たような事をした憶えアリ。
どうも自分の、天気を読む力は衰えている模様。
………いや、雨が降ると判っていても、自転車に乗ってしまう自分の、面倒くさがりが問題か?
話の話という、ロシアのアニメを見る。
ふるふるとした描線が、僕の境界に感染する、
そんなものだった。
対話中に、相手と自己撞着を起こしそうになる。
ギュッと、抱きしめてあげれば良かったのだろうか?
言葉で届かないのなら、なおさらに。
彼が望んだ対話のまま進んだのに、
その奥にまで止まれずに彼の心の近くにまで言葉が至ってしまった、
それを僕は恥じ入るべきなのか、恐れるべきなのか。
彼は可能性と現実に、義務と衝動に、理性と感情に引き裂かれそうになって、それでもその間隙を、何で紡ぎ止めればいいのか決めかねている。僕はその隙間に、僕自身の言葉を垂れ流して注ぎ込んだだけじゃないのか?
僕が、今のように考えている限り、僕の言葉は誰かに衝突することを意志し続けていく。
天気・風が突風。髪の毛がワサワサします/体調・やっぱり疲れを覚えました。
牛乳でヨーグルトを割ったモノを飲んでいるのですが、
なかなか、これで特に胃腸の調子が急激に悪くなる感じが無く、
快調すぎてトイレが多くなるほどになっています。
ちなみに、グラスは冷凍室に保管しておくのがコツです。
特に味に変化がある訳じゃないのですが、温くなってくると、酸味が強くなってくるので、冷えていて、何となく甘みの強い間に飲むのがいいんです。
明日は学校の開始と同時に授業が入っていて、日が落ちてからもう一つ入っているので、今日はこれ以上疲れを長引かせないように勉強しておきます。
あぁっと、勉強というと違和感がある人もいると思うのですが、
学ぶことを通じて、学んでいるそのものに参加していく、ひいては其処を突き抜けて道の見えない場所を歩き出すというのが、真に学ぶことの大切さを訴えていると考えています。
学ぶ対象に、学んでいる己のナニかが映し出されている、そんな気分ですね、勉強中って。
天気・曇り。洗濯は出来ない/体調・鼻づまりのことを書くのが疲れてきた
講義の要項を読もうとして、どうしても手が動かない。
ナニカを、納得できていないような気がする。
事務的に、なれないとも言えるように思える。
1人では無理なのだ。何が、といわれると困るのだけれども。
1人で行かなくてはならないのだ。
今やっていることは、1人では無理なのだ。
誰かが必要なのか、だれもいらなくなったのか。
変わった石を拾う。
赤い、印鑑の半回り大きめの、透き通ってはいないけれど、光にかざしてみると鈍く光ってくるような、そんな石です。
既に円柱形に加工済みなので、やはり印鑑などに使われる物じゃないかと考えているのですが、そんなものが何故、人が拾えるような場所に落ちていたのか、妙に謎です。
どうにも、生き物の体から抜け落ちたような、そこに戻りたがっているような、そんな気がするのです。
新入生のプロフィールを束ねたものを配布されました。
みんな、写真映りが凄まじすぎて、実物が来たら突っ込んでしまいそうです。それぐらいのインパクト。
思い切って小説を書くことに絞ってみようか。
そう思うことが一日に一度はあるようになると、
それが迷いなのか、願望なのか区別が付かなくなってきます。
僕は薄暗い路地の中程で、上に少し開いた空を、ただぼぅっと眺めていたい、そんな人間なのだと実感する時です。
天気・雨。この時期にしては強すぎるのでは?/体調・やはり眠い。それに加えて喉も違和感。鼻づまりは相変わらない。
朝から先輩の送り出し。
鹿児島の県庁にお勤めだとか。
一瞬ですけど、何て声を掛ければいいか、詰まってしまった。
その後、昨日に引き続く会議を。
今度は話さずに静観。
それでも、皆の言う伝統、という言葉には違和感がある。
彼らにとっては法律に等しいのかも知れないが、
僕にとってはツールに等しい以上の何物でもなく、
彼らにとって維持していく物なのかも知れないが、
僕にとっては作り替え、または新たに作り出していくものだと、
どうしてもそうとしか思えないのだ。
もう一押ししたら、また気分が急降下していく様な気がする。
天気・夜になって風が強くなる/体調・眠い。だれてきたのかも
言いたかったことが、言えなかった日。
言い表そうとして、無力でしかなかった日。
同じ言葉が、沢山の意味を持ててしまうのは、
僕に対する嫌がらせにしか思えなくなってくる。
カルピスを作る。
軽く飲み干す。
食券の日付を間違えたらしい。
気付かないままに食事を摂ってしまったので、
どの日に、その間違いを犯したのか、私にも判りません。
天気・朝は日差しが強く、昼になるにつれて弱まる/体調・無視していれば気にならなくなる程度の症状
まだ読んでいなかったARTIST JAPANを閲覧。
横山大観、東山魁夷両者の風景画には、紙面の上からでも圧倒されるばかりです。
風呂場で同級生から、筒井康隆の虚人たちか、ガルシア・マルケスの百年の孤独を持っていないか、と訊かれる。
心理学専攻の所属にしては、登場人物の内面描写よりは、文学におけるリアリティへ挑むような現代小説を求めてきたのは何故だろう、と、食事の時にも顔を合わせる機会があったので訊き返してみると、只単に読みたくなったからという事で………………便利屋扱い、ですかな?
味方が欲しい、と思ってしまう一日。
特に何もなくても、心はそうじゃない、と判ってしまった一日。
何も起こらないからこそ、心は何も思う隙もなく蝕まれていくのだと、あと一歩で悔いてしまいそうになる一日。
天気・晴れていて、日陰は寒い/体調・夜になってから風邪の症状が再発
祖母と、街まで買い物に。
妹のバインダーを見繕うように母から頼まれていたのですが、
昨今の大型店舗の営業方針の大改革を受けてか、文具を取り扱うコーナーが、どのデパートにも存在しない状況に直面。
お前ら、新入生達の需要は捨てたのか?
そういう訳で頼まれ事は全く応えられませんでしたが、三時間ほどの散策を経て、東京に送る分の買い物は終了。
途中、新しく出来た蕎麦屋の天麩羅や煮物の旨さに唸ってみたり(弟には、ぜひお奨めしたいと思うほどの出来。蕎麦に関しては上々、といったところかな)、やっぱり入荷の遅いARTIST JAPANを購入したり、低回転だから野菜独特の臭みを出さないというミキサーの実演販売に祖母が見事に捕まってみたり(その脇を普通に通過しようとした自分が、ちょっと恥かいてみたり)、まぁ、イロイロと楽しんだ一日でした。
そうやって帰宅した自分に、母から懇々と説教。
どうも、自分の日常態度に不安と不満がある様子。
仕事とやりたいことを完全に割り切ってしまった自分では、
やはり熱意とかが伝わりづらいのかもしれない。
とはいっても、昔のように、ただ夢だけを見つめ続けるようなことは、きっと出来ないと思っている。
夢を見なくなった訳じゃない。現実の中に見出さねばならないと気づいただけなのだ。
・・・・・・・・・・未来を具体的に思い描け、と母は言う。
見えぬ未来を思い描いたものになど、何の価値も見出したくはないと、僕は思う。
天気・暗め。すごしやすい明るさ、かも/体調・水分を、摂りすぎた、かも
昨日も感じていた、あの嫌な状態が、頭や胸や足の奥でくすぶっている気分。書いたからといって、それで何かが軽くなるわけじゃないのですが、それでも書いておかないと、字面だけになって形骸化してしまいそうな気がする。よくよく考えると、こういった日記を書くようになったのは、自分が考えていること、思っていることを出来る限り形に残したいからであって、それを思い出してみると、なんと自分が自分の思ったとおりに書き残せていないかに気づかされます! ・・・・・・・・・なんか、ざぁっとらしい、ような気がする。ノリノリじゃないと言葉に出来ない機能と、ギリギリまで追い詰めていかないと言葉にならない思索の両者が、余りにも相性が悪すぎるのかも。
コーヒーは牛乳を多めに入れないと、どうしても飲めない。
砂糖の入ったヤツは、自販機の、コーヒーの出来損ないをコーヒー以外の何かに変化させるための薬剤と考えて飲む以外では、わざわざ作りたいとは思えない。
MAXコーヒーは、よく飲みますが、やはりコーヒーと思って飲んではいない、はず。
音楽を聴いていると、どうしても体が動いてしまう。
運動不足なのかもしれない。
考えれば考えるほど、実証主義でも実在主義でも、どちらでもない自分を自覚する。ヴィトゲンシュタインは論理のように倫理を捕らえ、その反対の視点からも論理を考えることができたのだと言いたい。論理にとっての理論が、倫理に対しての慣習であり、常識であるのだと主張したい。論理に求めるべきは確実性でも厳密性でもなく、僕らを僕らたらしめている原理であると噛み締めたい。アインシュタインの理論の全ては実在論者の夢であったが、現実において実証主義的に扱われたのだと、何度でも確かめていたい。科学者が、例え、確実なる物の上に全てを築いていくことを否定され、己の信じるという想いの上に積み重ねていくしかないと知らされて、その重みに絶望したとしても、その弱さを告白していくことを、僕らは如何なる理由からも守り通さねばならないと決意させたい。
天気・夕焼けが綺麗/体調・寝不足、になるだろう
夕焼けは、夜から天気が崩れることを意味するのです。
・・・・・・・・・そんな知識を自然と思い出せてしまうほど、
大人になってしまった自分が哀愁です。
どう正座しても足が痺れてしまうように。
こらえ性がなくなりつつあるのかもしれません。
弟の後期受験。
少ない科目で一点突破を目指した弟の作戦は、果たして吉か凶か。
シーフードカレーだけ、とろみが付き難いのは、何故だろうか?
蛸や烏賊にあてがわれている魚偏の漢字を、不意に検索したくなる。
大学の講義登録が、まだ先だと知って、なんだか異様に気が抜けて、それと一緒に、一体何を自分はそこまで肩肘張って踏ん張っているのか判らなくなって、楽しいだけじゃだめなんだろうなという悲観が何処かに引いていったと思ったら、前へ前へという事務的機械的な自分が表にひょっこりと姿を現して、 問題だと思っていた何かが、心の中に重石として存在していたはずの何かが、すっぽりと消えてしまって、三日近くになります。
正直、今の状態が、良いのかどうか、それすらも判然としません。
楽、ではあるのですが、それでいいはずが無い、と考えなくてはならないというのも、多分事実だと思ってはいるのです。
考え続けなければ、問いはいつのまにか風化してしまうのかもしれません。
天気・暖房は使わず/体調・下痢。少し貧血。
ヨーグルトと整腸剤の相乗効果に翻弄されそうになった本日です。
腸にまわったらしい風邪の菌に対しての処方が整腸剤だったのですが、朝夕二回のみの服用という使用頻度に恥じぬ強い効果を発揮してくれました。
おかげでトイレの消臭剤が一目盛り無くなりそうです。
マスクをした跡が赤くなっている模様。
ワイヤーみたいな形状保持機構がやりすぎなのでは?と思う。
そういえば昨日、体験入学への出席で疲れたのだろう父が昼寝し、その、どちらかといえば大き目の鼾をバックサウンドに本を読んでいると、不規則に三十秒ほど息が止まっていることに気づきました。
いわゆる睡眠時無呼吸症候群なのでは!と、さっそく母に報告。
その返答。
「大丈夫、息が止まった時は起こしてるから」
いやそういうことじゃないと思うんだけど?
ふざけたりするのは大丈夫でも、嫌がらせに繋がるようなことはNGだと気づく。
なんとも自分勝手な基準だと思ったけれど、生理的なものなら仕方ないかと納得する部分もアリ。
天気・晴れ続けている。これは良い/体調・起きた時の鼻づまりが治らない。体調ではないのか?
どうにも熱血馬鹿です。
とりあえず、挨拶ではありません。
時折、道と術の違いを考えたりするのです。
剣道と剣術は、一方が一方を含む関係ではなく、
剣との在り方の違いである、とか何とか、
スポーツ経験殆ど無い癖して考えている時があります。
果たして、己の思索は、己の人生において道となりうるのか、それとも術として形成されるのか。
母親の呼びかけで、昨日より早く起きました。
何でも、天気のいい間に布団のシーツなどを洗って起きたいのだとか。
ともかく、自分にとっても、起きてメシを食べてしまえば、
こっちのもんです。
寝ぼけている間は、体が動いていても、頭が気づいていない時もあるので、話しかけられたりすると、妙な反応をしてしまうので、とっとと食べるのがベストなのだと、どうも無意識のうちに理解している模様。
おでんがまだ残っています。
そういえば、仮面浪人中の弟が、実際には大学の授業を捨てていたことが判明。
案外、両立させているのかと思っていたけれど、
さすがにそこまでの余裕は無かったと言うことらしい。
自分も分かるので、驚いただけで特に何も言わないことにする。
天気・晴れるということでしたが、中途半端です/体調・早く目が醒める。布団が合わない?
妹の勉強スタイルの点検。
・・・・・・・・・したかったのですが、宿題の前に撃沈。
それなりの年になると、自主学習を第三者が点検することもなくなるので、自分にとって便利なノートの使い方、などを教えたいと思っていたのですが、もうしばらく掛かりそうです。
レタスは千切りすると水が大量に染み出してきます。
父親が釣りに使う浮きを弄って遊んでいます。
弟がチッコイガスパールを手放しません。
ニーチェが、やけにすんなり読めるようになった理由。
最近考えている人間・世界観が、彼の思索をなぞるように展開しているようだ、ということらしい。
本を読んで感じただけなので、正しく意図が読めているわけではないのだが、字面や使用単語を拾い上げてみるたびに、己の使い方、道筋に反響してくるものがあって、それを取り込むべきか迷っている。
先駆者がいると考えるべきか。それならば、己の思索は考えるべくして考えてしまう経路を人の本能の一側面が有していると言うことなのか。己の思索の出発点にあるのは全てとのズレであったはずで、そこにある絶対の孤立で、その平等な正当性ゆえの絶望であったはずで、結局今も私は絶望し続けなくてはならないのか。
天気・降って湿った/体調・食べ過ぎた、かな?
ネット講義、聞きそびれてしまった。
最後の最後に、なんたる不覚!
溜まった一円玉を、そろそろ貯金しようかと思っています。
でも、
数えるのがめんどくさいほどにあるので、
実家に持って帰っても、いいかな、と思ったり。
家族全員、こういった事が、案外好きだったりするので。
正座に耐えられなくなりました。
すぐに痺れるとは、日本人としてあるまじきです。
椅子の上でも正座していた高校時代に戻らなくては!
人生における僕らの行為は、必然的ではない。
が、その必要性を、その行為全てで証明出来るのかと言えば、
たとえ全力でやり遂げようと、でもだ。
僕らは常に必要性があることを盲目的に信頼しているのでは?
何故、この事実に自覚的でないのか?
僕が絶望したのは、正にこの事実に於いてであったことを、
今日、一年半掛けて言葉に出来たことを感謝したい。
僕らは、常に独善的でしかないのかもしれないという恐怖を、
果たして伝えきれるのか否か。
















