天気・ずっと曇っていました/体調・気分は上々、気持ちは低調、機嫌は最悪

 寮の行事の数々が、
 思いっきり、
 卒論の発表とかぶりました。
 そして、その行事のために色々と練習せねばならないので、
 より憂鬱になってきています。
 意味もなく泣きそうですし、なんだか怒りたくてウズウズしているのに頭の中から形になって出て行ってくれません。
 行事があるのは良いのですが、
 僕にとって一番ではないこともあるのが、
 どうやっても、自分への罰として帰ってくるしかないと
 そうとしか考えられない自分が嫌になるときもあります。
 
 
 
 先を見たくもありません。
 見えるのならそうするでしょうけれども。
 見えないのに、見ようとするのは愚かじゃないでしょうか。
 それを願ってしまうのは、人の性なのでしょうけれど。
 今しか見えないのなら、それにすがりつくので精一杯で、
 それでも殆ど全てが僕の側にいてくれないのが、
 あまりにも辛くて仕方がないのです。

2007年05月07日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

天気・お昼過ぎは全て夜/体調・鼻をかむ度に血が出る

 僕は言葉から排除される。
 言葉は、そのままで既に僕を裏切っている。

「社会に排除される」とは、どういう事なのか?

 いつかジャパネスク・ホラーについて、
 語らねばならない時が、必然的に来るような、
 そんな気がする。

2006年11月09日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

選択

ボクの選択が、それ以外に選べたのかもしれない。

でも、それ以上のものなんて、思いつかなかった。

きっと、ボクらの歴史は、そんなものなのだ。

2006年08月21日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

天気・雨は持ちこたえた・・・?/体調・顔がべとつく

 目を見開いて直視すべきですね。
 生まれたときより、社会から逃れられない以上、
 どこに立つべきかを選択せねばならなくなる。
 何が言いたいのか、やっぱり判らないのですが、
 空しか見えない状態なのです。
 どこにあるのか判っていても、行けるわけがない場所。

 
 
 レポートを完成させることにしました。
 考え自体は、今も持続しているのですが、
 何処へも行き着かないことに絶望気味です。
 
 児童絵画とは何か。幼稚園児の時に絵を描かなかった人は居なかったはずで、そういった絵を、何らかのコンクールに送る/送らないにかかわらず、私たちは絵として認識し、作品だと認識しているはずです。
 此処で考えたいのは、こういった絵画を芸術作品と呼ぶことが妥当か否か、ということなのです。
 果たして、ピカソやゴッホの絵と、幼稚園児の描いた絵が同じ展覧会で並んでいて、理屈の上では、変なことはないはずです。
 が、微妙な違和感が、言葉に出来ないようなものとして、あると思われるのです。
 小さな事ですが、ここには「芸術」ひいては「文化」という言葉の定義に関わる問題があって、さらには何が「芸術」を「芸術」たらしめているのか、にも関わる問題だと思うのです。
 では、具体的に何処が違和感をもたらすのか、それを次から述べてみたいと思います。

2006年07月06日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(1)

天気・淡い晴れ/体調・頭の痛みは、少しずつ大きくなり、喉の荒れは小康状態

 対人関係が、少し落ち着く。
 ここ一ヶ月、どうもソワソワしていたので。
 私自身、そろそろヤヴァイような気がしていましたし。
 やはり、気を抜くことはできない、ということでしょうか。
 誰かのためにありたいと思うのに、
 そうすればするほど、己が死んでいくように感じるのは、
 ちょっと酷い、と思う。



 小学生の時、もしくは幼稚園児の時、
 絵を描いたことがない人、など、たぶんいないと思う。
 それが授業で描いた風景画、友人の人物画にしろ、
 夏休みの読書感想画にしろ、
 それらを扱うコンクールや発表会で審査され、展示されている、
 そんな絵を、幾つも見たことがあるでしょうし、
 幾つも描いたことがあるでしょう。
 つまり、私たちは誰しも、芸術家の履歴を持つ、といっても可笑しくはない、はずです。
 が、実際に、そう言われると、上手く表現できない、齟齬といいますか、違和感があると思います。
 もちろん、子供の描いた絵(これ以降は児童絵画に統一します)を芸術作品に含めるのはどうだろう、という意見もあるでしょうが、少なくとも、児童絵画は絵であって、美術館に飾ってある絵画と、その知名度や技術面に劣る面はあるでしょうが、「絵である」という本質(性質)に置いては同等のはずです。もし、それでも児童絵画を芸術作品の範囲内に含めることに抵抗があるのならば、古代の壁画は単なる落書きとしか評価できなくなるはずです。(もちろんここに、そういった壁画を芸術的能力の開花とし、そこから美術の発達史的な見方を持ち込むこともできますが、まぁ、それは置いておきます)
 ここまでして、何が言いたいのかと言いますと、私たちは、児童絵画を芸術作品として認めている面があるのに、それらを美術館の絵画作品群と同じように扱うことに、どこか否定的であり、そうであるのに、そういった判断に対し、妙な罪悪感を持っている面もある、ということなのです。
 これは、一体、どういうことなのでしょうか?
 これから数日間、この事を追求してみたいと、思っています。
 このブログでは初めての、レポート形式です。

2006年06月14日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(1)

攻撃対象

 僕が絶対的に相容れないのは、
 偽善、欺瞞、傲慢である。
 最も理知的な部分から発生し、
 理知の欠片も含まないソレらを、
 そのまま受け入れるつもりも、
 見ないふりをするわけにもいかないのだ。

 人を不当に虐げるつもりもないが、
 人を不当に持ち上げるつもりもない。
 それが、さほど価値も意味も持たない生き物であろうとも、
(実際には、たった一つの価値を持つだけだと思っているが)
 それをそのままに受け止めるべきなのだ。
 そこに、何の喜びも悲しみもないのが、最も良いはずだ。
 きっと、さほど楽しい物でもないだろうし。
 そして、そこに感じるかも知れない絶望は、
 本来、感じてはならないものなのだ。

2006年05月16日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

天気・雨が降り、雷が落ち、窓が濡れました/体調・攻撃的

 体調の欄に、壊してみたい、と書きそうになりました。
 ちょっと、躁が行き過ぎているかもしれません。
 むかむかしているのとは違うんですよね。
 楽しくて仕方がない。
 それなのに、攻撃的なんですよ、本当に。

 雨がどしゃぶりだったお陰で、
 予定していた出掛けは明日に持ち越されました。
 まぁ、昨日みたいな暑さも嫌ですけど。
 


 興味があるのと、好みであるのは違う。
 これは、かなり厳密である。

2006年05月02日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

出発点

 自分が、他人とずれていたのは、知っていた。
 その在り方に、疑問を持ったのが、そもそもの始まり。
 ただの個性として済ませて良いのか?
 個人個人の在り方は、その生き方に、非常に強く影響する。
 他人とのずれを知覚できるような立場の人間は、社会の何処に位置づけられるべきか。
 それは、社会のアウトローではない。
 異端児ではあるが、それでも社会に居場所を見いださなくてはならない者の立場ではないのか?
 そうしたうえで、どう生きていくべきなのか?
 社会にぶつかっていくべきか?
 他者を傷つけることが必然であるとするならば、
 それが道徳で非難されているのは、僕らの偽善なのか?
 それとも、自己を押さえ、社会に順応していくべきか?
 ならば、自分らしく人生を生きていくことを良しとして育てられ、生きていく子供達は、無意識のうちに騙し欺されていることに、なりはしないか?
 他の道があるのか?これは、当たり前の通過点なのか?
 それならば、誰もが、そういった疑問を提示していないのは何故だ?
 そう感じている、まさにそれこそが、自分のズレなのか?
 
 社会は、母親じゃない。
 これは、遅すぎた反抗期なのかもしれないと、
 最近思うようになっている。

2006年04月29日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

立場の再確認

 相対主義の行き着く先は、仙人だろう。
 それは、他人を完全に退ける強さを必要とする。
 最も、私は此処にはいない。
 僕は、相手にぶつかろうとも、貫く方を選択する。
 それは、きっと、誰かを傷つける立場ではある。
 が、社会で普通に生きていく人々と同じ幸せを望む限り、
 そこから逃げることは出来ないし、逃げるわけにはいかない。
 絶望しながら、僕は幸せになりたいのだ。

 他人とのつながりを作ること・守ることに、
 それほどの価値を置いてはいない。
 ある誰かが、六十億人も存在する人々の中の一人として、
 僕が必要とすることを示し得るのか、
 そして、僕が必要と思えるのか、
 その2点が最も重要なのであり、
 それに合致しない人を、とくに2番目に合わない人を、
 無理に自分に結びつけておくことは、
 最善手でも最高手でもないだろう。
 これが、何かを切り捨てる強さなのだろう。
 だから、切り捨てる物の価値は、何よりも知っていなくてはならない。

 世界には、絶対的な物がある。
 認めよう。
 しかし、忘れてはならない。
 僕らがいなければ、それらは、きっと、なんの意味もない。
 そして、僕らに対して、そういった意味での価値も持たない。
 僕らがいなければ、それはただ、そこにあって、意味を持たないことでしか、価値を持たないのだ。
 僕は、人の可能性を、何よりも、世界よりも高く置こう。
 そして、それが希望と絶望を持ちうることを、何よりも知っていなくてはならないのだ。

2006年04月28日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

不一致

 結果が一緒であっても、過程に於いて、その理由や原因が判っているのと判っていないのとでは、状況は何も好転していないことになる。
 この問題が明確に見て取れるのは、人の心の問題である。
 倫理観の崩壊やズレ、自己の内面の複雑化・多面化は、そういった問題が基礎にあったり、表面化したものだと考えられる。
 が、しかし、ここに問題が一つ。
 人は自ずから規則(法・論理・倫理)を組み上げていく、と昨日書いたことに、現実で進行している状況が一致しないのではないか、ということだ。
 人の全体、という概念が、世代などの違いによって分散しているのか?それとも、個人個人のもつ社会が、現代では変質しつつあるのか?もしくは、人が世界に意味を与えるという前提条件だけでは、人は世界の無意味に対し、弱すぎるのだろうか?
 深く、ではなく、より広く考えていくべき点だと思う。

2006年04月03日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

「証明」について

 証明することは説明することに他ならない。
 それは、考えることなしに行われる動作であり、
 高校数学のソレは、ただの煩わしさしかもたないのも、
 それが理由なのだろう。
 
 証明せずには、真理を伝えることは出来ない。
 しかし、伝えることに意味があるのかと言えば、
 私個人は、きっと意味を感じない人間なのだろう。
 こういったことに関しては、私だけの問題ではないだろうが、
 こういった意味の欠落が、私の中のどこかで起こっていることが、
 人とのずれを引き起こしている可能性が、
 非常に高い。

2005年12月06日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

恵み

 理解者じゃなくてもいい。
 僕に、僕の人生に、正面から向かい合って、
 僕がなしえたことを(たぶんそれが幸福であってほしい)証明してくれる、証言者がいることが、なにものにも勝る恵みであると、僕は宣言する。
 僕が示し得るのは、たぶんそれだけしかないだろうけれど、既にそれだけで幸せなはずだ。

2005年11月24日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

正しさについて

 正しさにはレベルの違いがある。
 
 宗教はすべて正しい。
 しかし、人を幸福にする、という点において、
 その正しさは未完全であると言うほかにない。
 宗教間の争いは、そういった意味で必然である。
 なぜなら、人の一部の幸福を否定しあうから。
 
 「そうであってしかるべきである」
 この前には、正しいと間違いは、その価値を失うだろう。
 何であってもいいのだから。
 正誤の判断は、必然の前に効力を失うと言ってもいい。
 もちろん、それ以上の視点が、存在してもいいだろうが。

 何をやってもいい、は不成立である。
 やって善いことと悪いことの区別が無くなるだけである。
 他人の毀誉褒貶を拒否できないことと同意であり、
 そう言った意味では、犯罪者に弁護は不可能である。

 正常者と異常者の見る世界は、きっと一致しない。
 でも、どちらも見ることが出来る、理解できる人は存在しないだろうから、それを区別するのは何なのか、考えておくべきである。
 気がついたら、壁の中、という可能性だってあるのだ。

2005年11月19日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

天気・寒さが痛い/体調・サラダに再び

 お金や食べ物や美貌のように見える物よりも、
 名誉や愛や未来のように見えない物が大事だというのなら、
 今、目の前にある私など、どれほどの物だというのだろう?

 
 人生において、マイナスになることはあり得ないし、
 何もなさなければ、ただ単に零であるだけだと考えた。
 が、しかし、生まれたその瞬間が零の立ち位置であったとは、
 少しばかり考えがたいようにも、僕は思えるのだ。
 実は、人生の中で何をなそうとも、なせることは変わらないし、
 残せる物は変わらないのではないか?
 そこに、時間という概念すらないとすれば、
 これは急激に真実味を帯びてくるように、私は思うのだ。

2005年11月17日 自己批判∩分析文 トラックバック(0) コメント(0)

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